脳内新聞 Bra/in/side


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No.145 ( 2012.1.1 )

年末から風邪をひいて、ずっと臥せっていた。仕方がないのでテレビをかなり見た。 本当に劣化を実感する。特にバラエティ。あの笑い声とか驚く声とか、本当に必要なのだろうか。 加算しないことには視聴率が伸びないことは、かつて僕もさんざん体験した。 悔しいが減算すれば視聴者はチャンネルを変える。でも今のこの状況は、あまりに加算について億面がなさすぎる。

オウムの平田信容疑者が出頭したことについて江川詔子氏が1日朝のフジテレビで、 「年明けにも執行されるかもしれないという教祖の死刑がですね、かなり遅れるという、 そういう意味を持つと思います」とコメントしている(引用ママ)。

そこまで殺したいのかと嘆息すると同時に、彼女はオウムに襲撃された被害者でもあり、 坂本弁護士一家殺害事件については遺族的な心情も持つ当事者なのだから、 これほどの憎悪もある意味で仕方がないのだろうとは思う。問題の根源は、 報復感情に駆られた当事者的な感情を吐露する彼女のコメントを、 「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディアなのだ。

他にも弁護士とか漫画家とか、襲撃された被害者でありながら、 そのコメントがその肩書とともに消費された人は大勢いた。 その帰結として被害者感情が全国民レベルで共有された。 こうしてオウム以降、厳罰化が激しく進行し、麻原法廷は一審だけで死刑が確定するという異常な事態になった (多くの人は異常とは認識していないけれど)。

裁判がまともに行われないのだから、麻原がなぜサリンを撒けと命じたのか、 その動機や理由がわからない。だからこそ不安や恐怖が刺激される。 だから善悪二元化が進行し、厳罰化はさらに促進される。・・・こうして負のらせん構造に、 1995年以降のこの国は陥った。

平田は長官狙撃事件など、いくつかの謎のカギを握るキーパーソンの可能性があると言われている (僕はその可能性は薄いとは思うけれど)。ならばじっくりと取り調べて裁判を適正に行うことは当たり前だ。 それは彼らのためではなく、僕らのためなのだ。

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森達也のブログ巻頭コラム2011.01.01.

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