日本ブランドは衰えず
知らなかったので、私としては大変おどろいたのですが、
この数年で日本語学習者が急速に増えているそうです。
国際交流基金が今年3月にまとめた報告書によれば、
外国人の日本語学習者の推移は以下の通りです。
1979年 約 12万7千人
1990年 約 98万1千人
1998年 約 210万2千人
2003年 約 235万6千人
2006年 約 297万9千人
2009年 約 365万1千人
巻頭コラム No.146
死刑判決が確定したオウム幹部のうち、僕は6人に会っている。 麻原は精神障害を起こしているのではないかとの僕の見立てについて、 彼らの多くは面会時に、決して積極的に同意はしなかった。 「詐病ではないか」と言われたこともある。 「なぜそう思うのか」と訊けば、「その程度はやる人だから」とのニュアンスで答えられたことを覚えている。
被告席で大小便を洩らす。あるいは実の娘の眼の前で自慰行為に耽る。 普通の精神状態ならありえないと見なすべきこれらの行為も、彼らにすれば「尊師ならその程度は(簡単に)やる」との文脈で整合する。 2005年に麻原に面会した中島節夫精神科医が、顔や両瞼がピクピクと痙攣し続ける線維束性攣縮は意識的には困難な動作であるとしたうえで、 「脳の前頭葉から側頭葉にかけての領域が委縮しており、アルツハイマーの末期と同様の症状に陥るピック病も含めて、器質性脳疾患の疑いが強い」 と所見を表明したときも、「尊師なら線維束性攣縮くらいは簡単にやるだろう」と彼らは考えたはずだ。
もちろん「その程度はやる」の意味は、「そういう悪辣なことをやる」と「そういう常人には不可能なことをやる」の二つの意味がある。 そしてこの二つは、「自分たちが身も心もささげた教祖が普通人と同じ規格のはずがない」との願望が根底に駆動しているという意味では共通している。 言い換えれば「尊師ならやりかねない」は、「麻原が最終解脱者であることを信じる」ことと、 あるいは「A3」のエピローグで中川智正さんが言った「…化けものです」と、位相はほぼ同じなのだ。
ならば否定せねば。ただの人間だ。最終解脱などありえない。だからこそ無残に精神が崩壊した。その現実を見据えなさいと伝えたい。
2012.1.10 森達也
"森達也のブログ巻頭コラム2011.01.10.
No.145 ( 2012.1.1 )
年末から風邪をひいて、ずっと臥せっていた。仕方がないのでテレビをかなり見た。 本当に劣化を実感する。特にバラエティ。あの笑い声とか驚く声とか、本当に必要なのだろうか。 加算しないことには視聴率が伸びないことは、かつて僕もさんざん体験した。 悔しいが減算すれば視聴者はチャンネルを変える。でも今のこの状況は、あまりに加算について億面がなさすぎる。
オウムの平田信容疑者が出頭したことについて江川詔子氏が1日朝のフジテレビで、 「年明けにも執行されるかもしれないという教祖の死刑がですね、かなり遅れるという、 そういう意味を持つと思います」とコメントしている(引用ママ)。
そこまで殺したいのかと嘆息すると同時に、彼女はオウムに襲撃された被害者でもあり、 坂本弁護士一家殺害事件については遺族的な心情も持つ当事者なのだから、 これほどの憎悪もある意味で仕方がないのだろうとは思う。問題の根源は、 報復感情に駆られた当事者的な感情を吐露する彼女のコメントを、 「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディアなのだ。
他にも弁護士とか漫画家とか、襲撃された被害者でありながら、 そのコメントがその肩書とともに消費された人は大勢いた。 その帰結として被害者感情が全国民レベルで共有された。 こうしてオウム以降、厳罰化が激しく進行し、麻原法廷は一審だけで死刑が確定するという異常な事態になった (多くの人は異常とは認識していないけれど)。
裁判がまともに行われないのだから、麻原がなぜサリンを撒けと命じたのか、 その動機や理由がわからない。だからこそ不安や恐怖が刺激される。 だから善悪二元化が進行し、厳罰化はさらに促進される。・・・こうして負のらせん構造に、 1995年以降のこの国は陥った。
平田は長官狙撃事件など、いくつかの謎のカギを握るキーパーソンの可能性があると言われている (僕はその可能性は薄いとは思うけれど)。ならばじっくりと取り調べて裁判を適正に行うことは当たり前だ。 それは彼らのためではなく、僕らのためなのだ。
"森達也のブログ巻頭コラム2011.01.01.
知らなかったので、私としては大変おどろいたのですが、
この数年で日本語学習者が急速に増えているそうです。
国際交流基金が今年3月にまとめた報告書によれば、
外国人の日本語学習者の推移は以下の通りです。
1979年 約 12万7千人
1990年 約 98万1千人
1998年 約 210万2千人
2003年 約 235万6千人
2006年 約 297万9千人
2009年 約 365万1千人


みなさんは、「ボランティア」や「チャリティ」と聞いて、何を思い浮かべますか?
実際、社会貢献は、学生にはハードルの高い活動だと認識されていると思います。
中でも途上国支援は現地まで足を運ぶイメージがあるので、多くの学生に対して門戸が開けていないのが現状です。
そこに私たちは問題意識を持ち、『学生にとって』『誰にでも出来ること』として、ラブチャリという今までにない魅力を世の中に提案します。ラブチャリとは、サークル単位で取り組む、途上国支援のことです。各サークルが支援国を決め、独自のプロジェクトを掲げて、その問題解決のために様々な活動を展開します。
例えば、ラブチャリ参加サークルのGRAPHISはカンボジアを支援国としました。そして、ココン州ベング村の道を舗装するプロジェクトを掲げました。その費用を集めるために、都内の会場を貸切り、チャリティイベントを定期的に開催しました。
また、ラブチャリ参加サークルのSIVIOは、ラオスを途上国支援としました。そして、ルアンパバーン州コーン村に小学校を建設するプロジェクトを掲げました。その費用を集めるために、街頭募金やチャリティイベントを開催しました。
このように、ラブチャリ参加サークルは独自に活動しています。
「これなら私にも出来る」「僕たちだったらコレ」という自分達なりのものを、ラブチャリを通じて、途上国支援しませんか?
※途上国と先進国の違い
先進国とは、OECD(経済協力開発機構)の援助国会議に参加している30ヵ国をさす言葉です。
OECD加盟国一覧(2005年1月現在)
オーストリア/スイス/ベルギー/トルコ/カナダ/英国/デンマーク/アメリカ合衆国/フランス/日本/ドイツ/フィンランド/ギリシャ/オーストラリア/アイスランド/ニュージーランド/アイルランド/メキシコ/イタリア/チェコ共和国/ルクセンブルク/ハンガリー/オランダ/ポーランド/ノルウェー/大韓民国/ポルトガル/スロバキア/スペイン/スウェーデン
一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル「ひとつの誤解はまず、民主主義2.0とは、情報技術に支援された、新しい熟議民主主義だというものである(……)すべての市民が政策決定に電子的手段で参加する新たな直接民主主義の実現。ネットにそのような夢を託しているひとは、いまでもじつに多い。
他方でもうひとつの誤解は、民主主義2.0とは、市民の個人情報を徹底的に収集し分析し、それをもとに最適解を数理的に決定していくような、いわば「データベース民主主義」だというものである(……)
しかし本書が主題としてきた一般意志2.0の構想は、それら両者の組み合わせとして考えられている。人間と動物、論理と数理、理性と感情、ヘーゲルとグーグル――それらさまざまな対立を『アイロニー』で併存させ、接合したところに、本書が構想する民主主義2.0は立ち現れる」(『一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』p215-216)
Tumbled with TumTum ♻書籍版『妄想芸術劇場』出版記念企画 都築響一 × リリー・フランキー ぴんから対談 後編 (via 「ぴんから対談・後編」 都築響一 × リリー・フランキー 1)
